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伊勢神宮での精神修養

2月も末になり寒さからやがて来る春4月が見えてくると毎年、この頃に思い出す新人の頃の研修のことです。

高度経済成長真っ盛りの中で社会人として会社へ入社、そして真っ先に待っていたのは、4月中旬から始まる会社の新人研修でした。

 

この頃の学生は、学生運動華やかなりし時に大なり小なり、そう言った学生として当然?な思想を持っている人が大多数でした。そしてそうした学生をいかに会社にとって有用な人間として育成していくかということが、会社としての大きな課題でした。

 

その一つの方法というのが新人研修としての「精神修養」でした。つまり2~3週間 どこかに缶詰にしてそういう精神修養をするんです。

 

この時代はどこの会社も大なり小なり実施していたと聞いています。

 

 

我々の時は、伊勢神宮の近くにある「精神修養道場」というのがあって、そこへ同期の新人約100人が放り込まれるんです。何故、伊勢神宮かというのは、後ほど理由が分かるとして、

 

当時は会社へ入社したてで、何もわからず、研修ということで会社が作ったスケジュールに従って、2週間伊勢の「精神修養道場」へ行きました。門の前には、墨字で「精神修養道場」と大書されていて、たしかに道場のような大きな建屋の中へ。そこには宿泊ができるようになっていて、といっても20畳くらいの部屋がいくつかあって、畳敷きで雑魚寝でしたが。(当時はエンジニアに女性はいませんので男ばかりです)

 

さて精神修養とは何をするのかというと、建屋の中の掃除から始まり、数㎞のランニング、それが済むと、大きな発声をして、自分がどういう人間か、どうしたいかを大声で一人づつ叫ぶ(?)というもので、それが数時間続き、その後座禅や複数人数での討論、それが終わるとまた大声で発生 というのを1週間以上繰り返す毎日です。当然 教官と呼ばれる人は、「竹刀しない」をもって、ダレた態度を見せると竹刀が鳴り、容赦なく「激」が飛びます。

 

1週間もたつと不思議なもので、それまでの学生気分が徐々に変わってくるのですね。いや本当に。

今だったら時代錯誤も甚だしい、と言われそうですが、その時代はそれが普通でした。学生運動が激しく左翼とかが日常的に横行していた時代だからこそ、社会は右傾化?精神修養というのも普通でした。今から思うと不思議な時代でしたね。

 

そうして、10日くらいたつといよいよ精神修養の本筋に入るわけです。

 

まず、精神修養本番の早朝2時ごろに叩き起こされました。

 

そして、一枚の白い布切れが全員に配布されます。それはなんと いわゆる「ふんどし」でした。

 

教官が言うには、それを付けて、あとはすべて脱いで、ふんどし一枚でこれから五十鈴川(いすずがわ)へ行きます。という事でした。まだ朝早く薄暗がりで人もほとんどいないので恥ずかしい事もあまりないのですが、100人が全員ふんどし一枚の姿ですから。そして、伊勢神宮の近くを流れる五十鈴川へ100人全員で入水するのです。

4月の早朝ですからまだ非常に寒くましてや冷たい水にふんどし1枚で入水するなんて!と思うのですが、全員でかなり汗が出るまで体操とウォーミングアップをふんどし一つで やって、首まで水につかりました。冷たく寒いという事だけを覚えています。

 

この「五十鈴川に入水する」という事がいわゆる「禊(みそぎ)」に相当するという事が後になってわかりました。何故、禊をするかというとそのあとに伊勢神宮の特別の場所に入るためでした。

 

その後、朝食後、100人は全員がネクタイ背広姿で伊勢神宮へ向かうのでした。

 

さて100人の若者が全員 背広スーツ姿で伊勢神宮の玉砂利の上を4列縦隊で整列して、伊勢神宮 内宮本殿へ向かうわけですが、玉砂利をザッザッと音を立てて整然と歩いて行く一団を見て一般参拝者から見るとまるで右翼の行進の様に写ったことでしょう。

伊勢神宮 内宮本殿へ着くとそこには柵がありその中へ。

 

伊勢神宮の参拝する場所には、いくつかの規制があるのをご存知でしょうか?

 

内宮本殿前には2種類の腰高の柵があります。

 

一番内側の柵内には、皇室関連者、及び政府高官しか入れず、そういう人は内宮本殿一番内側の柵内から参拝します。

その外側、1番目と2番めの柵の中には、いわゆる「禊」をした特別参拝者及び特別な文化人などが参拝します。そして一番外側の柵外からは一般参拝者が参拝します。

 

従って、一般的に神宮を参拝するのは、2列ある柵外から参拝していることになります。

 

さて我々 スーツを着た100名は禊を済ませていますので、皇室関係者の外側、一般参拝者の内側から参拝をします。

さくをひとつ超えて、一般参拝者が後ろから見守る内側の柵内へ行き、その玉砂利の上に全員整列し正座をして 土下座、そのまま、しばし頭を玉砂利につけて参拝ということになります。

 

全員スーツ姿の100名が玉砂利の上で正座、土下座をしている後ろから、一般参拝者は、柵内のこの異様な光景を見ることになるわけです。

 

時間は、朝8時頃だったか、既に一般参拝者が多く見えている時間帯でもあり、皆さん訝しげな目で見ている人達が多かったと思いますが、土下座している我々としては、100名でやっているわけで、その時はなんとも思わなかったですね

 

そんなこんなで、精神修養を完了?して、会社での仕事が始まったわけですが、まあ、学生気分が抜けたことだけは確かで、これはこれで良かったのかもしれません。

 

この後、3~5年位までの新人研修としては継続されたようで、女性技術者が入社した時は、水着でやったと聞いていますがさすがに入社したての女性も驚いたことだろうと思います。

 

今では、こんな時代錯誤的な行事はやっていないと聞きますが、まあ時代が写す鏡みたいな行事ではあるでしょうね。

今では毎年今頃になると懐かしく思い出されます。

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